『花のゆくえ』Sample

2019/11/23発行 B6/本文178ページ
はじめに
この海の向こうで、世界はもう終わってしまったという。
「いいかい、モス」
博士は僕をそう呼んでいた。本当の名前は、もう少し長くて呼びにくい。
「漂着物はすべて、この星の過去だ」
「過去」
僕は首を傾げる。
「終わった物語のことだよ」
博士はそう言って、小さく笑った。
砂浜には、毎朝、色々なものが流れ着いていた。金属片や、骨や、ネジや歯車、また骨、ガラス片、壊れた通信端末や計器、そしてまた骨、骨、骨。
僕はそれらをかき集めて、博士のところに持っていく。博士の手の中で過去は目覚め、遠い悲しみを語り出す。世界は傷つけ合い、表皮を裂かれ、血を流し、いくつもの骨を砕かれて、ようやく時を止めたという。
終わった世界の欠片は海を越え、この場所で眠りから覚める。物語を紡ぎ、ささやかな根を下ろす。茎を伸ばし、葉を広げ、小さな白い花を咲かせる。夏には、そこらじゅうが、その花で真っ白になる。そして、冬にはすべて枯れてしまう。
枯れた花は、冬の初めに拾い集めて、砂浜で焼く。灰の一部は空に昇り、一部は海へと流れ、一部はこの海岸の砂の中に融けていく。
「僕も、死んだらこの海を渡れるかな」
あるとき僕は博士に問うた。いつか、どこか遠い場所で、僕も花になるのだろうか、と。
それは花がすっかり枯れてしまったあとの、殺風景な夕暮れの中での会話だった。
「生きているうちに渡りなさい。海は、死者のためにあるのではない」
それが、博士の答えだった。
博士はその冬が終わる前に、ゆるやかに命を終えた。僕はその亡骸を焼き、骨も灰も海に流した。春になって、僕はまた砂浜に流れ着くものを拾い集めた。けれども、白い花はもう咲かなかった。
それは遠い記憶、夢とも現実とも断言できない何か、そして、物語のはじまりだった。
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