フラグメント

   
人の記憶は時とともに曖昧になっていくが、写真は克明にそのときの光景を記録する。だから人は、忘れたくない光景に向かってシャッターを切る。
写真は、その人が見た景色である以上に、その人が忘れたくないと思った記憶である。
 
そのことに気付いたのは2年前のことで、彼が残した大量の写真を、僕はいまだに正視できずにいる。彼の写真の多くは僕ら家族を写したもので、見ればそのときのことを多分思い出すだろう。カメラを向けられた瞬間のことを。

ある時期の僕は、思春期の多くの少年がそうであるように、家族というものに対して何かしらマイナスの感情を抱いていた。その頃の写真の中の僕は、笑っていないものが多いはずだ。それを懲りもせずに何枚も写していた彼の心境を考えると、なぜ笑うことができなかったのかと思う。でもそれは、結局は過去のことで、終わったことなのだ。今さらどうこう言っても仕方ない。
僕が生まれてから彼が死ぬまで、その間のことが膨大な枚数の写真に残っていると思うと、僕にとっては、ただそれだけで、涙を流すのに十分過ぎる事実だった。
 
 
僕も、あるときからカメラを持つようになった。
デジタルカメラが一般的になってからは、さして意識もせずに写真を撮ってきた。フィルムの残り枚数を気にしなくてよくなったからだ。写真を撮るのは、たいていは何かのイベントか旅行のときだったが、携帯電話を持つようになってからは、その日食べたものから見た風景まで、下らないものも大事なものも、見境なくシャッターを切るようになった。

けれども写真は、僕がやがてこの世界を去るときに残していく、僕の記憶の断片だ。
僕が見た世界は、こんなだった、と。

2年前のあのときから、そんな風に考えるようになった。

カメラを持った瞬間に、目に映る景色は彩度を増す。 
空の色は深く、風に揺れる木々はその葉の一枚一枚を伸びやかに見せる。
瞬き、しぐさ、なびく髪、そういう一瞬を、すっと、浮かび上がらせる。
被写体を求める目がそうさせるのだろう。心を動かす何かを探すために。

そうして写るのは、決して美しいだけの風景ではない。
心が動くのは、楽しいときばかりではない。

けれども多くの悲しみを内包し、絶えず傷つきながらも、
この世界は、レンズに向かって笑ってみせるのだ。
  
  
<了>

「フラグメント」 2013/3/11 * 
(C) 2013 Kurage (Sasaki Kaigetsu)
  
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