酢川岳    2005年 7月17日

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	所在 岩手県一関市大字巌美町字祭畤山 
	基準点コード 5840-36-4301	二万五千分の一地形図名 栗駒山
	緯度 38°57′39″.3447		経度 140°47′18″.1856
	標高 1627.42m
  <新データ>
  基準点コード TR15840364301
  緯度 38°57′39.3207   経度 140°47′18.2515
  標高 1626.68 m

中央コースから栗駒山本峰

 この三角点は栗駒山の山頂にあります
が、所在地は岩手県一関市ということに
なっています。そのためでしょうか、点
名も「酢川岳」と、岩手県側からの呼び
名が採用されています。現在は「須川岳」
と書きますが。宮城県人としては少々不
満です。かなり広い山頂なので、どこを
県境が通っているのかは分かりません。

 この時はイワカガミ平からの中央コー
スを登りましたが、1994年に家族で
来た時に舗装工事をしていたのを思い出
しました。路面は粗い石畳をコンクリー
トで固定した、という感じで、ちょっと
歩きにくさを感じました。しかし、これ
で大勢の登山者が歩くことを可能にして
いる、と思えばやむを得ないでしょう。
この「舗装」のおかげで、どんなに雨が
降っても道が侵食されて荒れることはな
いでしょう。この舗装路は、1408m
のピークの少し手前まで続いています。
そこからは普通の登山道ですが、だいぶ
手入れされていました。また登山道の周
囲にも、土留めをしたりして植生の回復
を図った工事がされていました。
 この山は山域が広く、登山道も十コー
スぐらいありますが、この中央コースは
岩手側からの須川コースと並んで登山者
が多く、道がだいぶ荒れていた記憶があ
ります。現在修復中というところでしょ
うか。
 やがて東栗駒コース分岐を見送ると、
頂上へ向かって木製の階段の急登になり
ます。階段の幅と歩幅が微妙に合わず、
結構疲れますが、一気に山頂まで歩きま
した。山頂にはおよそ50人ぐらいの登
山者がいて、あたりの景色を眺めたり、
昼食を摂っていたりしていました。ガス
が流れていて、あまり眺望はよくありま
せんでした。

 一等三角点酢川岳は、山頂の標示の傍
にあり、かなり古びています。字もあま
りよく読めなくなっていました。点の記
を見ると、選点は明治21年9月、埋標
は明治24年8月28日となっています。
選点から埋票まで3年ほどかかっている
のは、登山道を切り開いたためでしょう
か。
 帰路は東栗駒を通りましたが、ここに
も三角点があるのを忘れていました。ま
た来る理由ができた、と考えましょう。

 ところで、わたしがこの栗駒山に初め
て登ったのは、今から30年以上も前の
ことで、高校1年の時です。学校行事で、
1年生全員による栗駒登山があり、それ
に参加したわけです。そのころは、まだ
イワカガミ平の駐車場やレストハウスは
なく、それどころか樹海ライン自体が工
事中でした。
 二泊三日の日程で、駒ノ湯(今ほど立
派な建物ではありませんでした)に泊ま
り、2日目の早朝に出発して御沢コース
を登り、山頂で昼食の後、中央コースを
たどってコマの湯に戻ったものと思われ
ます。三十数年も経過してから、この時
のルートを思い出そうとしているのです
が、記憶がはっきりしない部分がいくつ
かあります。一つは、御室下の雪渓は覚
えているのですが、その上を歩いた記憶
はありません。また、御室の奥宮も見て
いないと思います。とすると、どこを歩
いたのでしょう。また、他にもよく分か
らない部分がありますので、今頭の中で
復元作業しています。

 





巨大な山頂標識

三角点はかなり風化しています

イワカガミです

補修された三角点

<付記>
 10月16日にまた栗駒山を訪れまし
た。三角点は3か月前とはかなり様子が
違っていました。セメントを使って欠け
ていた部分の補修がなされていました。
あまり手際のよい補修とは言えませんが、
ともかく四角柱は復元されていました。
刻印された字までは復元しなかったよう
ですが・・・。

<付記2>
 2008年6月14日午前8時40分
頃、私は東北自動車道を栗駒山に向かっ
て北上中でした。まもなく泉PAを過ぎ
ようというあたりでした。走行中ですの
で、画像は見られませんがTVのスイッ
チは入っていて、音声のみを聞くともな
しに聞いていました。突然鋭いチャイム
が鳴り、「緊急地震速報〜」という音声
が流れました。「えっ?」と思いました
が、とりあえず速度を少し落として揺れ
に備えました。しかし、私には揺れは感
じられませんでした。おかしいとは思い
ましたが、泉PAが近づいてきたので、
そこに入ってTVと電話で確かめること
にしました。
 私のすぐ後にPAには行って来たワゴ
ン車を見ると、運転しているのは偶然に
も友人のI氏だったので、近寄って話を
したところ、彼はすごい揺れを感じたそ
うです。ちょっとした場所の違いか何か
によるのでしょうか。その頃にはすでに
カーナビのTVでは、地震関連のニュー
ス速報が流れていました。それによると、
震源はどうも栗駒山の近くらしく、登山
どころではないようです。少し迷いまし
たが、結局この日は家に戻ることにしま
した。
 実は、この日は6時にはもう起きてい
て、6時半には出発することができたの
ですが、なんとなくぐずぐずしていて、
8時を過ぎてから出発したのでした。も
し予定通りに6時半に出発していたら、
祭畤大橋の落橋に巻き込まれていたかも
しれません(一関経由で須川温泉から登
るつもりでした)。あるいは、登山口の
駐車場に車を置いてヘリコプターで下山
することになったかもしれません。後で
考えると、かなり危ない状況だったよう
です。
 ご存じの通り、その後秋田県側から須
川温泉に行くルートは何とか通れるよう
になりましたが、岩手県側はまだ開通の
目処がついていません。宮城県側のイワ
カガミ平にも行くことができません。

<付記3>
 2010年6月に2度須川コースから
栗駒山を登りました。1度目は雪渓を歩
いて山頂往復、2度目は天狗平から天馬
尾根を通って秣岳、というルートでした。
岩手・宮城内陸地震以来、ほぼ2年ぶり
の栗駒山でしたが、登山道にダメージは
見られず、以前と同じ山の姿を見ること
ができました。宮城県側からの中央コー
スや東栗駒コースはまだ歩いていません
ので、近いうちに訪れてみたいと思って
います。なお、三角点のデータが少々変
わっていますので、掲載しておきます。

		

天狗平から見た山頂の紅葉(撮影2007年10月6日)

しろがね草原の草紅葉(撮影2007年10月6日)

しろがね草原の新緑(撮影2010年6月19日)

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