鴻ノ舘    2006年12月30日

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	所在 宮城県仙台市宮城野区岩切字入山83
 
	基準点コード TR25740377501	二万五千分の一地形図名 仙台北東部
	緯度  38°18′49″.8144	経度 140°56′22″.8839
	標高  106.00m
	選点  明治30年5月19日	埋標  明治30年10月12日

遊歩道の様子
 奥州藤原氏の滅亡後、源頼朝は伊沢家景を
陸奥国の留守職に任じました。伊沢氏は留守
姓を名乗り、ここ高森山に巨大な城郭を築い
て拠点としました。留守氏はその後も大きな
勢力を保ち、南北朝の時代にも存在感を示し
ましたが、やがて没落し、戦国時代に至って
伊達家からの嗣子を迎えて、その家臣となり
ました。
 現在も土塁や空堀などの大規模な遺構を見
ることが出来ますが、非常に大きな山城だっ
たことが分かります。麓の岩切地区も七北田
川の水運を利用して、経済的に栄えたそうで
す。また、この辺りの地名である「岩切」は、
かつてここが石材の山地であったことから来
ているようです。

 県道8号線(利府街道)を仙台から利府方
向に進み、岩切大橋を渡ってすぐのところに
県道35号線との交差点があります。ここを
左折してまもなく。右手に山の上に登って行
く道があります。大型バスも通る道なのです
が、あまり幅は広くありません。ここに入っ
て1kmぐらいでしょうか、岩切城址へ続く
遊歩道の分岐があります。入り口近くに車を
停めて歩くこと5分で山頂に着きます。結構
きつい坂もありますが、舗装されていて歩き
やすい道です。周りを見ると、明らかに自然
のものではない地形が目に入ります。空堀や
土塁の跡です。確かに相当大きな城だったに
違いありません。
 山頂(本丸)は広い台地のようになってい
て、トイレや四阿などもあり、公園として整
備されています。周りには桜の木が数多く植
えられていて、桜の季節にはよい花見スポッ
トになるだろうと思われます。山頂台地の中
央やや北寄りに三角点があります。だいぶ角
が欠けていますが、表面はきれいです。御影
石の模様がはっきりと見えますが、文字はあ
まり読み取れませんでした。

 ところで、この山の名前は「高森山」と言
います。従って、城の名前は「高森城」です
が、「岩切城」とも呼ばれます。これはこの
辺りの地名から来ているので何の不思議もな
いのですが、さらに別名として「鴻の舘」と
いう名もあります。この由来は一体何なので
しょうか。「国府の館」でしょうか? 単純
な連想に過ぎないのですが、国府多賀城はこ
こからさほど遠くありません。

 山頂から東南方向には、太平洋を見ること
が出来ます。また、少し降りた道から仙台市
の中心部がよく見えます。SS30他のビル
群や太白山もはっきりと見えます。この日は
あいにくの曇天でしたが、晴れていればさぞ
素晴らしいパノラマになったことでしょう。


		

規模の大きな城だったようです。

台地上の山頂にある三角点

三角点のアップ

仙台市街地が見えます。

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