ドビュッシー 映像 第1集 第2集

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 ドビュッシーには、「映像( Image)」という標題の作品が3つあります。そのうち、「第1集」と「第2集」がピ
アノ独奏のための作品で、「第3集」は管弦楽のための作品(これについてはまた別に取り上げるつもりです)です。
「ドビュッシーの音楽はドビュッシー以前からあったものだ」と言ったのは、詩人のジャン・コクトーですが、この
言葉のとおり、ドビュッシの音楽は自然のつぶやきを我々に伝えているもののように感じられます。

 作曲は第1集が1905年、第2集が1907年で、印象主義的な作風を確立したとされる「牧神の午後への前奏
曲」の完成から、すでに10年以上と月日が流れています。

 ドビュッシーは、「第1集の」の出来に相当な自身を持っていたようで、1905年11月に「ピアの作品の中で
シューマンの左かショパンの右に位置する」と出版社宛に書いています。

 第1集
  水に映る影
	 ラヴェルに「水の戯れ」というピアノ曲があります。両者とも水(あるいは水面)の動きをモチーフとし
	ていますが、曲から受ける印象は、まるで正反対と言ってもよいように思います。ラヴェルの方は、例にご
	とく精緻で整った感じですが、こちらはより奔放でまるで水(音)自体が生命を持っているように動き回っ
	ています。
  ラモーを讃えて
	 ラモーは1683年生まれのフランス・バロックの大作曲家です。この曲はドビュッシーが出版者デュラ
	ンからラモーのオペラ・バレエ「ポリムニの祭」の校訂を依頼されたことが機縁となって書かれたそうです。
	そのためか、この曲はまるでラモーに対する敬意を表するかのような荘重なサラバンドとなっています。サ
	ラバンドは元来はゆっくりとしたテンポの3拍子系の舞曲で、バロック時代の組曲の主要な楽章を形成しま
	した。
  動き
	 3連符の連なりが絶え間なく動き回ります。題名が「動き」という抽象的なものですので、何を連想して
	もいいのでしょうが、やはり動きそのものとしか言いようがありません。

 第2集
  葉末を渡る鐘
	 ドビュッシーの友人にL.ラロワという人がいました。この人は最初にドビュッシーの評伝を書いたこと
	で知られていますが、そのドビュッシーへの手紙の中に、諸聖人の祝日(11月1日)の晩課の鐘の音につ
	いての記述があり、それがドビュッシーに霊感を与えて作曲の契機になったそうです。「鐘の音は村から村
	へ、夕暮れの静けさの中を黄金に輝く森を渡っていく」というようなことが書いてあったそうです。まるで
	靄がかかった中から聞こえてくるかのような、かすかな木々のさやぎを通して、遠くの鐘の音が時にははっ
	きりと聞こえてきます。
  荒れた寺にかかる月
	 この曲は前述のL.ラロワに献呈されています。東洋的な素材(と私には思えます)にふさわしい(こち
	らは思い込みに過ぎないかも)和音の響きと線的な動きの対比が見事だと思います。
  金色の魚
	 ドビュッシーは螺鈿と金箔で魚を描いた漆塗りの箱(硯箱?)か何かを愛用していたようで、この曲もそ
	れから着想を得たようです。魚の動きそのものよりも、さざ波を通して魚の金色の鱗に反射する光の動きが
	見えるようです。

 この曲の録音で所有しているのは、次の通りです。

	1 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ DG 415 372-2
	   1971年7月ミュンヘン録音

	2 アルド・チッコリーニ EMI 7243 5 73813 2 1
	   1991年4月録音

	3 モニク・アース エラート WPCS-21080
	   1971年パリ録音

 この3つの中では1のミケランジェリが抜群だと思まです。緻密で構成感がしっかりとしており、ドビュッシーが
書いたものを残らず引き出しているような感じです。