紙の本>【Sample】『花のゆくえ』page2

第一章

 時刻は四時。
 目が覚めたら、まず砂浜を歩く。
 砂浜には、この星の過去が流れ着く。そのいくつかを手に取り、簡易計測器でだいたいの年代を調べ、材料や大きさ、付着物の有無などを記録していく。
 重要なのは、その付着物だ。たとえば金属片の端に、絡まるようにして一緒に流れ着いた藻のようなもの。この星の在来生物なのか、人類が地球から持ち込んだ植物なのか。在来生物であれば、どういう種類のものか。どこからやって来たのか。
 藻のようなものであれば、近くから流れ着いた場合が多い。この荒い海では、こういう柔らかなものは散り散りになってしまい、あまり長い旅は出来ないからだ。それに対して、種子の類いは遠くから運ばれてくることがある。硬い殻を浮き袋のようにして、長い旅をする。ほかにも、花粉のようなもの、胞子のようなもの、葉の葉脈だけがのこったようなものなど、よく見なければ見落としてしまう小さなものを、丁寧にガラスの小瓶に入れて持ち帰る。
 ところで、種子とか、葉とか、胞子とか、そういった呼び方はすべて、地球の植物に対するもので、この星の生き物に対する呼び方は、まだない。地球から持ち込まれた植物と比較して、役割や構造が近い呼称をあてている。
 僕は、この星の在来生物を研究している。
 人間が入植してからそれほど長い年月を経ずに、この海の向こうへと追いやられ、姿を消してしまった生き物たちだ。消えてしまったものに、人間はもう心を向けない。異物が排除されたことを喜んだだけだ。
 その残骸を、僕は集めている。
「先生」
 採取したものの中に、たとえば種子や胞子があれば、個体として生長させることを試みることもある。けれども、もちろんそういうことが可能なものは稀で、大抵は不完全な個体の残骸でしかない。
「先生、ねえ先生ってば」
「ああ、ニレ。どうしたの」
 肩を揺さぶられて、僕はようやく、自分が呼ばれていることに気づいた。
「呼んだら、返事くらいしてよ」
「ごめん、考え事をしていたんだ」
 ニレは、十六歳の少女だ。この浜辺の近くに小さな集落があって、そこで生まれ、そこでずっと暮らしている。手織りの長いワンピースに、草を編んだブーツ。急いで来たらしく、少し頬が上気していて、汗ばんだ額に髪の毛が貼り付いていた。
「どうしたの」
「お客様」
「僕に?」
 ニレは頷く。僕に客が来るなんて、何億年ぶりだろう。少なくとも、僕が生まれてから初めてのことだ。
「君の家に来ているの?」
 ニレは、また頷く。
「どんな人?」
「たぶん、マナナーンの街から来た人。ちゃんとした格好をしていていたから。あとはよく分からない。先生、髪の毛ごちゃごちゃ。せっかくきれいな金色なのに」
 伸びるままに任せている髪の毛は、無造作に束ねただけで、手入れもしていない。どういうわけかニレは気になるらしく、時々こうして怒られるし、機嫌がいいときなら編んでくれる。僕は身繕いも出来ない小さな子どもみたいだ。
 彼女の家まで、この海岸から歩いて十分ほど。散らかしていた道具を片づけ、リュックを背負い、村に戻る。ニレは少し怒っているような早足で、僕の数歩先を歩いた。
「仕事は、どう」
 振り返らずに、ニレが問う。どう、と言われると、困ってしまう。僕の研究は、何というか、あてのない旅でもしているようなもので、今どこら辺にいるのか分からない。
「ええとね、何か、面白いものは流れ着いた?」
 ニレは言い直す。それなら、僕も答えられる。
「うん。金属とか、セラミックとか、色々。このところ、そういうのが多いよ」
 僕は振り返り、海を見る。そして、海の上に広がる空を。少し桃色がかった、薄水色の空だ。もうじき太陽が沈む。遠く右手の方に、うっすらと金色の月が浮かんでいる。
 その月の向こうから、赤く小さな星が流れた。
「また戦争?」
 ニレの言葉には、どこか現実感のないものについて言及しているような響きがあった。
「たぶんね」
 僕も、きっと同じだろう。時折、燃え尽きなかった残骸がこの惑星の海に落ち、ばらばらにほどけながら、この砂浜まで運ばれてくることがある。それが、最近増えている。
 この惑星の外側、見上げた空のすぐ向こうでは、戦争がまだ続いているという。
「この星の人も、戦争をするの」
 ニレは問う。
「さあ」
 僕は、答えを持っていない。
 ニレはまた早足で村へと歩く。僕も、その華奢な後ろ姿を追いかけた。
 海のそばは岩と砂ばかりだけれど、少し離れると畑や家が見えてくる。砂地は、赤や黄色や灰色の土に変わり、四角く区切られた畑にはイモ類の葉が茂り、トマトが稔り、背の低い小麦が風に揺れている。人の姿はなく、しんと静かだった。まだ働き始めるには早い。葉の一枚一枚が陽光を照り返して、眩しい。ここは、深い原色の世界だった。
 この辺りに暮らす人たちは、こういう原始的な露地栽培で、自分たちの食糧を得ている。畑は細かく区割りされ、畝ごとに作られている作物が異なる。広い面積に単一の作物を植えることはしない。
 作物の多くは地球が原産で、この星に持ち込まれてから品種改良を重ねたものだ。小麦だけでも百種類以上、野菜や果物も含めると三百種類くらいの作物が作られている。寒さに強い小麦もあれば、暑さに強い小麦もある。湿度や紫外線など、適した環境はそれぞれちがう。この星は、気温や湿度の変動が激しい。全滅を防ぐためには、種類を増やすしかない。それが、ここでの農業のやり方だった。だいたい百人ほどの村で、各々が自分の作物を受け持ち、世話をする。小麦の専門家もいれば、トマトの専門家もいる。できた作物は、村のすべての人で分け合う。この村には、貨幣経済や資本主義経済の概念がない。
 小麦畑の向こう側に、小さな家がいくつか、寄り添うように建っている。そのひとつがニレの家だった。今は、その前に四輪駆動の強化電気自動車が停まっていた。こんなの、軍隊か警察でもなければ使わないわけで、つまりは軍隊か警察に関係のある話だということになり、僕は自分の行いを振り返った。
 何か、まずいこと、したっけ。

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