ジャガイモからヒマワリが咲くまで

もともと日記的に使っていた某所を閉じて、こちらにお引越ししようと思っているのだけれど、お引っ越しついでに、今年のことをぽつぽつ振り返って行こうと思う。メモのようなものがほとんどだし、あちらはあちらで置いておくので、どうせならただコピー投稿するよりも、思い出しながら書き直してみた方が面白いと思って。

そういうわけで、遡ること今年の2月に、兵庫県立美術館で開催していたゴッホ展に行ってきた。まだコロナなんて影も形もない頃だった。

ゴッホ展と聞いて、求めていたのはこう、ぐにょっとしてビビッドな、いかにもゴッホ的なゴッホだったのだけれど、そんな作品は終盤にふたつみっつ見られるくらいで、あとは言われなければゴッホだと分からない作品ばかりで、それがとてもよかった。ハーグ時代から印象派との出会いを経て、よく知られたゴッホの作品に繋がる紆余曲折と四苦八苦と試行錯誤がずらりと並んでいて、ゴッホですらこうだったのか…と物凄く衝撃を受けたのを覚えている。あとは、私もめちゃがんばろう…って思ったりしていた。ゴッホですら、こうだった。こうだったのか、と。

コロナ前ではあるけれども、年末頃から生活が大きく変わったタイミングで、この先の創作活動をどうしていけばいいのか、小説をどうやって書いていこうかと、うだうだしていた時期だった。それもあって、なんかもう、ものすごく心に響く展示だった。

このあとすぐにコロナで世の中全体が大きく変わって、ちょっとした変化なんて問題にならないレベルで、何か根本的な、大きなものを問われているような状態が今までずっと続いていて、あの時考えたことについてはまだ全然答えが出ないまま、今に至っている。